ウシジマタイシドウ
なんでかなっていうことはその時は分からなかったでも今そのことがわかるんです。
それなんだったかって言うと修行道場に行って自分なりにただかそん時半年ぐらいです。
けどもしょ懸命やったんです。
自分なりにねでそこには半分自分の修行に来る前のいろんな未練っていうのもあったもうほんとそうだったんだけどもやっぱりこのままではいけないといっしょけんめい使用しようと思ったけれどももうなんかね周りにもあまりにもすごい人たちがいっぱいいてそしてまたその後本山っていうところ行くとあのちゃん朝まであったりとか私の場合はあの前の音を教えなのでその前の色んなお坊さんたちの像があったりとかています。
私は今31歳20歳の頃から風俗でお仕事をしています。
つい最近なんで私は生まれてきたのかと思い答えが見つかりません。
私の両親は私がここのつの時に離婚しその後母が育ててくれました。
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三種の浄肉
つまり自分はちょっと変わってるんではないか思っているところが今の歌を迫さんをお手紙だけです。
けれども見ていてさほど他の大学生と変わらないまだまだ自分は他の人と違ったオリジナリティがあると言えるところまでオリジナリティに磨きがかかっていないその他大勢とさほど変わらないけれども何か自分は違うそのように感じている人間はみんな違います。
生まれたところも育ったご両親育った環境も考え方も生まれながらにしてみんな違うなけれどもその違いというものはやはりある程度の幅を持ってみんなと一緒と言ってもその中においてみんな違うんです。
けれどもその違いがその他大勢の人とあまり変わらないと言う範囲の中に入ればそれは変わらないんです。
高崎さんの場合島前高校生のときと <br />
牛頭観音
お昼はビスケットが23枚でございましたよ。
牛乳とそれでも死なないそんだけでいいんだそうです。
それでバンはねお寿司のご飯を外していらっしゃいました。
私これでいいんです。
っておっしゃってですが自分でわかんないと駄目ですね。
これだけでいいって言う分量ねそれはあの一人で出来めちゃイケなくてやっぱりちゃんとお医者様と相談した方がいいのかもしれません。
がそれでいいってなったらそれ以上にやっぱりとりすぎないようにしなきゃいけないということですね。
そういうわけで好きなだけ食べてダラダラと動かないとスイッチが入らないまま長寿遺伝子がもったいないことになるというわけでございます。
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宮城県の人が京都府へ
私が言ったら海が私に話しかけたよなんて言ったんだおばあちゃんばあちゃんそのような美しいそれこそ夏は海岸が埋まるほどの人でございまして海水浴のお客さんが大勢おいでになるとこでございました。私の大好きなとこでございました。ところで私の生まれたところは宮城県でございました。京都府ではないんでございます。ですから不思議だなーって言ってみんながもうされます。何で宮城県の人が京都府へ来たのだったところは叔父伯父さんが京都の丹後に住職をいたしておりました。もんですから私の親父はそのおじいに私を託したのでございます。宮城県の気仙沼という日跡が港があるんでございます。がその港のすぐ近くでございまして大谷と書いて大谷というんでございます。で昔は戦争時代は金が出たそうでございます。だけれども含有量が少ないので今は平山になっておりまして少ない金が少なかったのは私の脳の関係だと思っております。どうも私の老後少ないんでございます。ですから私が叔父のところに弟子入りしたのは3年生の小学校3年生の時でございました。毎日毎日鼻を垂らしている上で遊んでいたのでございます。